カセットビジョンソフトのシークレットプログラムについて

カセットビジョン専用カセット No.4 ビッグスポーツ 12(1981年発売) には、説明書には書かれていない秘密のプログラムが収録されています。
(当サイトでは「シークレットプログラム」と呼称します)
その内容は、まるでビデオゲーム用LSI、μPD-777の裏技の見本市のようで、UFOやレーシングカーなど斜体を多用したキャラクター表示は、この後に開発・発売されたテレビベーダーやきこりの与作など、実際のソフト内の表現として生かされることになります。

特筆すべきは、ビッグスポーツ12のボールゲームは、当初単体のボールゲーム機として、1977年~1978年頃にリリースが予定されていたとみられることです。当時は諸事情でオクラ入りとなり、1981年10月にカセットビジョン専用ゲームの1本として生まれ変わるのですが、もし予定通りに発売されていたとしたら、ビデオゲーム専用機としては、世界で初めてEaster egg(イースター・エッグ)が搭載されたといわれる、1977年のSTAR SHIP 1(ATARI社)に続き、また映画レディ・プレイヤー1の終盤で大フィーチャーされた、1980年発売の、ATARI VCSの「ADVENTURE」に先駆けた、世界でも最古の部類に入るEaster egg搭載ゲーム機となっていたことでしょう。


「ほりまちゃんねる」による、シークレットモード紹介動画

Youtube「ほりまちゃんねる」(byほりま氏):完全に動作するシークレットモードが観られる、究極のカセットビジョン関連サイト。本ページでも大変参考にさせっています。

2023年2月2日に公開されたほりま氏制作の「40年以上封印!『ビッグスポーツ12』シークレットモードのキャプチャに成功」には、このデモンストレーションの全容が、技術、背景の面からも実に詳しく解説されている、ビンテージゲームマニア必見の動画となっています。

カセットビジョンはステレオ対応だった!

このデモンストレーションの大きな特徴を3つ挙げてみましょう。

  1. 2つの数字と、レーシングカーやUFOなど5種類のキャラクターが表示される
  2. 約4秒ごとに、左側の数字、音、キャラ色、背景色が変わる。左側の数字が64になると0に戻る。
  3. 左右それぞれ、もしくは同時にサウンドが出力される1

なお、このモードから抜けるには、電源を切るしかありません。

各項目の注目すべき点は…

  1. すべてのキャラは斜体を含んだ形で構成されている。
    カセットビジョンに少々詳しい人ならご存じでしょうが、カセットビジョンの中期頃までの画面(背景やキャラクター)には、他のプラットホームではあまり見られない斜体が使用されています。
    まるで、斜体キャラクターの見本市のような表示に、このデモンストレーションの趣旨や目的が透けて見えてくるようです。
  2. 8色どころではありません?! カセットビジョンは本当は何色だせるのでしょうか??
  3. 2音…、つまり、μPDー777チップはステレオ出力が可能だということです。ただし右音源の音は小さく、この(ほりまちゃんねるの)デモンストレーションでは、左右の音をそろえてわかりやすくされています。実際に発売されたソフトの中で、この機能を使ったものは…ない?

通常では起動できない。しかし…

ほりま氏の分析によると、このシークレットプログラムは「通常の運用ではどんなことをしても入れない領域に移動してある」とのことです。
さて、ピラミッドの隠し部屋のように、入口のない部屋に飛び込むにはどうすればよいでしょう?
その昔、スーパーマリオブラザーズの裏面を表示させるために、本体やカセットに乱暴を働いた輩たちはここで「もしかして…」とピンとくるかもしれません。
しかし、その荒業では正常にプログラムを起動させることができないばかりか、ゲーム機やソフトを故障させる可能性が高いものです。

▲特別な機器を使わず、本体のみで偶然シークレットプログラムにアクセスできた場面を録画したもの。一部のキャラクター、音と色が変わる様子は確認できるが、カウンターは正常に表示されないなど誤動作の嵐。
(注:本体やカセットが故障します。くれぐれもまねしないように。)


ほりまチャンネルでは、μPD-77Xシリーズのプログラムを解析する自作ハードRLD-777を使って、シークレットモードエントリーアドレスに適切な適切な命令を送り込んで表示されています。このあたり、μPD77Xシリーズのエミュレータが開発されれば、造作もないことだと思われますが、さて…。

ななめのキャラが生まれた背景

以降は、筆者が20数年前に関係者にエポック社のビデオゲームについて同社に取材をした際にうかがったエピソードと、ほりまチャンネル様の解説文をふまえた推論・考察となります。

現在シルバニアファミリーで著名なエポック社は、60年代は野球盤に代表される盤ゲーム、70年代から80年代にかけては、家庭用ビデオゲーム機のメーカーとして高い知名度を誇っていました。
例えば、国産初の家庭用テレビゲーム専用機テレビテニス(1975年)は、エポック社の製品で、任天堂を2年も先駆けるこのビジネスのパイオニアでした。テレビテニスはまだ個別半導体の塊のようなハードでしたが、続くシステム10(1977年)では、NECと技術提携し、半導体群を1個のLSIに集積し、低コスト・高信頼性を高めました。
家庭用ビデオゲームのハードウエアの進化と共に、最先端の技術を追求してきたエポック社のテレビゲームが、続く製品に採用を検討したのがマイコン(マイクロコンピュータ)です。
システム10では半導体の結線で組まれていたゲーム内容から、一歩進めて、プログラムを書き換えることで実現しようというものです(ゲーム開発がソフトウエアでできるため、好きなだけバランス調整ができるのが大きなメリット)。
これが、幻のスーパー10というテレビゲーム機で、ここに採用される予定だったLSIが、NECがビデオゲーム用に新開発したμ-pD777という1チップマイコンでした。

ビッグスポーツ12カセットに搭載されたビデオゲーム用LSI、μPD-777C 004

しかし、ボールゲームブーム(1977年)の衰退が原因なのでしょうが、スーパー10は発売が見送られ、続くエポック社のテレビゲームには、μPD-778を採用し、エポック社がもっとも得意とする野球をビデオゲーム化したテレビ野球ゲーム(1978年)がリリースされることになりました。

発売年度製品名ざっくりと方式(笑)ざっくりと備考
1975テレビテニス個別半導体開発は他社
1975ビデオゲーム個別半導体上の日立発売版
1977システム10ワイヤードロジックLSIだがマイコンではない
スーパー101チップマイコン
1978テレビ野球ゲーム1チップマイコン
1979テレビブロックワイヤードロジック他社製LSI
1979テレビブロックMBワイヤードロジック同上
1980カセットTVゲーム /ATARI VCSマイコン
1980テレビベーダー1チップマイコン
1981カセットビジョン1チップマイコン
1983カセットビジョンジュニア1チップマイコン
1984スーパーカセットビジョン8ビットマイコン
▶80年代までのエポック社の歴代テレビゲーム(日立ビデオゲームVG-104など、OEM製品は除いています)



当時、筆者の取材に答えてくださったご関係者数名は、同社に設置されたμPDシリーズのモックアップ(開発機)をさわっているうちに、偶然に先のシークレットデモを見つけ「なんだこれは?!」と驚かれたそうです(→そして、画面を写真に撮られたとか)。
そこから、どういう経緯があったのか、デモンストレーションでこれみよがしに利用されていた斜体記号は、続くテレビ野球ゲームではさっそく左右フェアゾーンやバットなど、画面を覆うほどに多用されることになります。
以降も、同じくμPDシリーズを採用したテレビベーダー(1980年)ではUFOに、カセットビジョン期でのきこりの与作(1981年)の斧やイノシシ。パクパクモンスター(1982年)では、特徴的な主人公のシルエットに、と、中期までのカセットビジョンを象徴する表現となります。


なぜ、シークレットプログラムは搭載されたのか?

あらためて、シークレットプログラムが搭載された理由はなんだったのでしょう?ほりまチャンネルのほりま氏は次のように考察されています。

シークレットモードを実装した目的は単に隠れキャラではなく「スーパー10」では使われていない機能(斜め図形・多色・2音源等)を量産品LSIで検証しておくためだったと考えられます。

μPD-777マイコンは、当時開発されたばかりのハードウエアでしたので、量産機で運用した場合にどんな不具合が起こるか分かりません。実機でないと測りきれない不具合…例えば長時間稼働させた場合の発熱問題などです(初期ファミコンでも色々ありましたねえ)。この斜め記号は、タイミングをずらして実現しているらしく、他のビデオゲームにはめったに盛られない変則的な表示方法です。
その斜め記号は、今回のボールゲームでは使う必要がありませんでしたが、次回のソフトでは使われるかもしれません。量産版で無難に出力できるか確認したい、そこで、こっそり秘密の場所に隠されたのかもしれません。

そう考えると、ひとつの疑問が浮かんできます。入り口がないプログラムを、どうやって起動し確認しようというのでしょう?

ほりまチャンネルによると、スーパー10に搭載予定だったμPD-777と、実際に発売されたカセットビジョン用μPD-777C 004のプログラムを比較してみると、シークレットプログラムが格納された場所が異なっていると言います。

これは仮説ですが、ひょっとして、スーパー10当初の予定では、ある手順やタイミングでゲームセレクトスイッチやスタートスイッチを押す…、つまり秘密のコマンドを入力することで、店頭にならぶ製品で動作検証をしてしまおうという、いろいろな意味で恐るべき仕様になっていたのかもしれません。

仮に、もしそのようなコマンドが実装されていれば、骨までしゃぶりつくすほどTVゲーム機を使いまくっていた当時の子供たちは、速攻発見していたでしょうね。日本のビデオゲーム史に残るウルテク搭載ゲーム機として、早くから知られていたのではないかと、マニアとしてはいささか無念ではあります。

・・・といった妄想はともかく、真相を追求するならば、今の時代、開発者の方にコンタクトをとって、直接質問されるのが正確かつ手っ取り早いのかもしれません。


日本初の「裏技」?

ひょっとして、今回のシークレットプログラムは、国産家庭用ビデオゲームとしては初の裏技なのでしょうか?
いいえ。筆者が知る限りでも、1977年6月、任天堂が発売したテレビゲーム6/テレビゲーム15は、ゲームセレクトスイッチをゲームとゲームの間に置くと(つまりすべてHにする)、マニュアルにはのっていないレモングリーン背景のゲーム画面が現れます。
1979年にバンダイが発売(科研が開発)したポータブルゲームミサイルベーダーでは、左端でUFOをはめ撃ちすることでカンストさせる「UFO止め」(筆者命名)といった裏技が確認されています。

結局「裏技」の定義は範囲が広すぎるため、おいそれと裏技と書くと誤解を生んでしまうわけですが、「裏技」ではなく、”開発者によって仕組まれた隠しメッセージや画面等”という、英語圏でいう所のイースター・エッグ(Easter egg)のレイヤーでとらえてみるとどうでしょう?

ビデオゲーム全体としては、1978年にATARI社より発売された業務用ゲームSTARSHIP 1 に、「HI!RON」というメッセージ表示+10クレジットが入る機能が組み込まれているそうす。2
また、家庭用ビデオゲーム専用機としては、2018年スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「READY PLEYER ONE」(山場でガンダムが登場することで知られる) で世に広く知られた、ATARI2600 用ゲームADVENTURE に 組み込まれた、隠しメッセージ(ゲームデザイナーの名前)が有名ですね。

もし当初の予定どおり、テレビゲーム機「スーパー10」が1977年~1978年あたりに発売されていたら、世界のビデオゲーム史におけるイースター・エッグの順位が更新されていたかもしれませんね?!

遊び心が込められたゲーム機は成功する

1981年に延期されたとはいえ、ビッグスポーツ12は、日本の家庭用ビデオゲーム専用機の中では、最初期に位置するイースタン・エッグと言えます。
しかし「どれが一番だ」といった順位争いよりも、筆者が注目したのは、開発環境が結線からマイコンに進化したことで、シークレットモードのような隠し要素も生まれたのだなあ、ということです。
はんだごてを握りしめながら、回路図とにらめっこしつて生まれるものではない。イースターエッグとは、マイクロコンピュータ仕様に移行して、ようやく生まれる余裕や遊び心の結晶であるということ。そして、そういう余裕のあるプラットフォームは、概して成功するものである・・・というのが筆者の見立てだったりします。

謝辞

長々と書いてきましたが、すでに完全版の動画は収録・公開されています。40年前からこの裏プログラムの存在をご存じであったであろう、ほりま氏のYoutubeチャンネルをあらためて紹介いたします。
関連続編コンテンツも追加されて行かれるそうですから、期待しましょう。

  1. 特にの機能は、近年(資料を提供していただいたほりま氏によって)発見されました ↩︎
  2. Chasing the First Arcade Easter Egg (wordpress.com ↩︎