※本項は「リビングにてテレビゲームを囲む4人家族の構図」の続きとなります。
パンフレットやカタログは、もちろん購入予定者自身のためでもあります。仕様を確認したり、気持ちを高めたり…。
一方で黎明期のテレビゲーム機のように、高価(高級品)であり、かつテレビをプチ改造する必要性があるなど、ゲームを遊びたい子供たちだけでは導入が難しい場合、親を説得するためのツールになるという一面もあります。
当時、説得対象は父と母のどちらだったでしょう。一寸、父親のように思えるかもしれませんが、昔から男性はテレビやステレオといった嗜好品家電には甘く、夫に小遣いを渡し、家庭の財布のヒモを握っていたのは実はママの方。「そんな高いおもちゃなんて買ってどうするの!」「そんなものやると目が悪くなるでしょ?!」と強力な攻撃魔法で冒険者の心を折るを放つ母親こそ、真の裏ボスであったわけです。
ママさんがビデオゲームに共感を示すためには、例えば、ママさんが子供の頃にビデオゲーム~例えば1983年のファミコンや1989年のゲームボーイ~あたりに親しんだ経験があればよかったわけですが、残念ながらそれらは数年先の話。11972年を起源とするこの時代(日本では1977年頃のブーム期)には、多くのママさんが慎重派や反対派にまわりました。
つまり、メーカーが送り出した”パンフレットに映る4人の家族が楽しむテレビゲームの構図”というのは、理想の家族風景というよりは、ありえない嘘の写真で、本来は娯楽機器の紹介のはずなのに、その実態を隠し、反対する対象(当時は特に母親)を欺くための後方支援であったわけです。
もちろん、そんな方便に騙されるほどママさんのMPは低くなかったことは歴史が証明しています。家族が一団でテレビゲームを楽しみ笑っているという微笑ましい虚像を打破したのは、これまた結果的にファミコンとなるわけですが…。それらの過程を考察しながら覘いて参りましょう。
4人は誰を欺(あざむ)き続けてきたのか?
最初期~家長である父
「ご覧なさい、あなたの家族がこんなに幸せになります」。それはテレビ受像機が右肩上がりに普及を見せていた頃のテレビカタログの構図と全く同じです。1960年代、父親が家族の長(おさ)として権力をふるい、高級リビングに好品をそろえ、家族たちが興じる様子を見守るという父親の理想像そのものなのです。父親は家族の顔は見ていますが、テレビの画面は見ていない点に注目してください。
補足ですが、MAGNAVOXはテレビメーカーで、エポック社は盤ゲーム会社だったので、モデルが登場する宣材を頻繁に制作していた背景があることを記しておきます。
第一次テレビゲームブーム~母親
コスプレしながらゲームに興じる子供らとパパ、学習塾のテレビで計算ゲームに盛り上がる可愛らしいちびっ子たち。パンフは彼ら自身を対象にしたものでもありますが、片や、この構図は、写真の外から冷ややかに見つめている母親の視点だとお気づきでしょうか?
ナショナルとシャープの宣伝文句は「スポーツをお宅のテレビでやりませんか?」と、ゲーム機という遊具の印象を少しでもかわそうとするものです。これは「そんな高いおもちゃなんて買ってどうするの?!」と怒るママに対し「いや、ゲームじゃないよ、パパとスポーツを楽しむんだよ!」と子供(orパパ)が言い訳するためのエクスキューズです。
東芝のビジコンなどは、計算ゲームを買い与えると、子供たちが集まって算数の自習をするなどという夢物語が語られています。
他方、任天堂の広告(テレビゲーム6/15)は、ODYSSEYと変わらない、最初期の手法の延長です。…が、低価格、カラー、ゲーム数、信頼性で他社を圧倒し、単一機種としてはこの時期(’77年のTVゲームブーム)、日本で一番売れました。よって、何のひねりもない構図でも全く問題なし、ということですね。
遊戯メーカーだけに、常に遊びを極めようとする任天堂の信念。それについては、ファミコンの項で説明します。
閑散期~インベーダーとパックマンの頃:母と娘
ママに媚を売る構図は続きます。天下の任天堂も、続くレーシング112は思ったような仕様が組み込めず自信がなかった製品だけに、ママの笑顔に頼ざるを得ません。
アドオン5000は、パパを打ち負かしちゃった頼もしいお兄ちゃんの姿が登場します。
ママのまぶしい笑顔がインサートされている両パンフレット。他の人物より上座に配置されていることにも着目しましょう。
同・夏から翌年にかけて社会現象となるインベーダーゲームは、’79~’81年頃にスーパービジョン8000とテレビベーダーにてお茶の間用製品が登場します。
「不良の象徴というべき憎きインベーダーゲーム!」 よって、ゴマをする対象は、拒否反応を示すであろう母親です。ここに来てママが完全な主役になり、分身とも言える娘さんの笑顔が豊かなお茶の間を演出しています。ほっといても遊ぶであろう男性陣は、表情が見えなかったり下座だったり…。
特に中央のテレビベーダーは母親へ「ご一緒にやりませんか?!」と猛アピール。ここまであからさまだと痛快ですね。社会性を持ったパンフレットとして、ぜひ再評価を願いたい一枚です。
続くカセットビジョンは前項にて説明した通り、初期は男児ターゲットでしたが、第二期カセット群登場によるさらなる売り上げ祈願と、女性にもヒットしたパックマン系ゲームの登場ということで、女性陣を中心にファミリー層への浸透を図ったものがうかがえます。
エポック社は、1985年には、スーパーカセットビジョン本体の販促に「スーパーカセットビジョンレディースセット」という、女児向けのピンク色本体&占いソフトも発売しています。
ハイターゲットを欺けるか?
さて、家族4人がテレビゲームを囲む構図は、コンスタントなセールスを伸ばし続けてきたエポック社を例外として、’70年代で役目を終えたと言えます(21世紀にwiiで復活しますが)。理由は端的に、スタジオやモデルを工面して、お宅でのファミリーレジャーを訴えても、テレビゲーム商品の売り上げは上がらなかったからでしょう。
1980年代初頭はゲーム&ウオッチのような小型ゲーム機を売った方が利益も利幅が大きく、日本においてはこの時期を境に、ほとんどの業者がテレビゲーム市場からいったん撤退をみせます。
再び波が来るのはその約2年後、アメリカでの家庭用テレビゲーム(ATARI2600など)のブームがおこり、日本にも人気が波及すると当て込んだ頃です。
ただし、自社製品ではなく舶来品なので、日本人のニーズにあったゲームソフトが調達できないのが誤算でした。しかも値段は高価。よって、再び対象者を欺くためのパンフが作成されるわけですが…。
インテレビジョンは、かつてのように家族ではなく、POPEYEやホットドッグプレスなど、トレンド情報に敏感なハイティーン以上をターゲットにした販促戦略がとられました。結果、効果を発揮したのは、イメージキャラクターに起用されたビートたけしで、インテレビジョンに瞬間風速を生み、初版5000台を完売しました。
翌年発売のアルカディアは、目玉であるドラえもんやガンダムといったアニメゲームが立ち上げ時に間に合わず、インテレビジョンの構図を完全踏襲することに。低価格(それでも19,800円)機で低年齢層をターゲットにしていたため、モデルだけ子供にスライドさせたものになりました。
一方、かつての方法論のまま、家族をターゲットにしていたのはATARI2800です。
終章:誰も欺かなかったファミコン
’80年代の家庭用テレビゲーム機のスタンダードとなったファミリーコンピュータ(1983年7月)の新発売パンフレットです。「ファミリー」でありながら、人物は一切写っていません。もっとも目立つ場所にデン!と乗っているのは、当時世界的に大ヒットをとばしたアーケードゲーム・ドンキーコングです。ゲーム&ウオッチでも遊べたポパイ、ドンキーコングJr、最新鋭の人気作・マリオブラザーズ.の姿まで見えます。「お待たせしました!」という浮いたコピーすらありません。ただ、遊びを訴えるだけの内容です。
任天堂は当初から「テレビゲームは遊戯機器だ」と主張してきた世界でも数少ないメーカーでした。技術が追い付かない時期にはゆれた時期もありましたが、ファミコンという自信作が生まれた今、余計な枝葉を一切アピールせず、皆が本当に心の底で求めていたものだけを叩きつけたのです。
まして、創世記の幻想を引きずるATARI2800のパンフレットと比べると、その進化の差は歴然。この構図こそ、4人家族に象徴されてきた偶像を完全に終焉へと導くものでした。
最下段におごそかに表示されている14,800円という価格が、またヤバいですね。
もっとも、1980年代はコピーライター全盛期であり、広告のトレンドとして、ファミコン関連のパンフレットも、当の任天堂リリース分をのぞいて、本編と関係ないものがアピールされる時代になってゆくんですけれどね。
文:寺町電人(2023.12.07)
- 当時、多くの女の子も遊びまくったビデオゲームの例を挙げると、ゲーム&ウオッチ:ミッキーマウス(1981年)や、ときめき占いハーピット(1983年)などがあります。ファミコン(1983年~)、ゲームボーイ(1989年~)の頃にゲームを遊んだ世代が母親となり、大筋でビデオゲームに理解を示すようになったと言われるのは、ニンテンドーDS(2004年)やwii(2006年12月)があげられます。特にwiiは、「かつてビデオゲームで遊んだ人々を呼び戻す」がコンセプトのひとつでした。 ↩︎