東西問わず、黎明期のテレビゲーム機(据え置き型家庭用ビデオゲーム機)のパンフレットを手に取ると、そこには必ずと言っていいほど、お茶の間でTVを囲んでビデオゲームをプレイする家族~たいていはパパとママと息子と娘の4人~が登場します。まるでサザエさんをみるような昭和の風景…ですが、現実の風景を描写しているのではなく、実際は商業的意匠が含まれたイメージ写真です。80年初期までが守備範囲の当サイトにならい、それらの写真の趣旨、個性、構図、おもしろさ、そして時系列に並べることで見えてくる変遷をたどってみようという企画です。
むろん、宣伝(カタログやテレビCMなど)が先で、商品が後ではありません。本来は、企画書や関係者の証言から意匠をくみ取るべきですが、濃厚な検証を調査する時間も気力ももはや私にはないということで、お気軽トーク企画という前提で、それでも浮かび上がる要点は、あながち見当違いでもないと考えるところです。
パンフレットを選ぶ基準について
- 対象は据え置き型家庭用テレビゲーム専用機のパンフレット、またはそれに準ずるもの。パソコンや小型LSIゲーム機は対象外。
- 人間(モデル)が写っていること。挿絵等ではなく、モデルを雇うに大きなお金がかかります。当然スタイリストが必要ですし、それを撮るカメラマンもスタジオも、場をしきるディレクターもアシスタントも必要です。責任とリスクを負ったパンフレットには、発売側の意匠と製品のセールスポイントが最大限に表現されているわけです。ただし、最後に紹介するファミコンのみ、テレビゲームの歴史を変えた機種でありながら人ひとり出てこないため、例外掲載します。
目次
- 1972年秋:ODYSSEY(MAGNAVOX)
- 1976年冬:SUPER PONG IV(SEARS/ATARI)
- 1977年4月:NationalテレビゲームTY-TG40(松下電器・藤沢テレビ事業部)
- 1977年6月~7月:カラーテレビゲーム6、カラーテレビゲーム15(任天堂)
- 1977年10月:フェアプレー・XG-106(シャープ)
- 1978年6月:レーシング112(任天堂)
- 1978年4月:ビジコン(東芝)
- 1978年8月:アドオン5000(バンダイ)
- 1978年秋頃:ビデオピンボール(東洋物産)
- 1979年12月:スーパービジョン8000(バンダイ)
- 1980年頃:ATARI VIDEO COMPUTER SYSTEM (Ingersoll/ATARI)
- 1980年夏:テレビベーダー(エポック社)
- 1981年7月:カセットビジョン(エポック社)
- 1982年5月:インテレビジョン(バンダイ)
- 1983年3月:アルカディア(バンダイ)
- 1983年5月:ATARI2800(アタリインターナショナルインク日本支社)
- 1983年7月:ファミリーコンピュータ(任天堂)
- リビングにてテレビゲームを囲む4人家族の構図は何を示すのか
- 参考文献
ODYSSEY (MAGNAVOX/1972年秋/100$)
今から約50年前、世界初の家庭用TVゲーム専用機の昔から、高級リビングで家族4人が遊ぶという構図は始まっていた。
1972年のパンフレットだが、父が家族の王であり、テレビが家庭の娯楽の主人公だった60年代を引きずるトラッドで家電メーカーらしい写真だ。
さて、この広告の主人公は誰だろう?家族?ゲーム機?? ラルフ・ベア氏曰く「MAGNAVOXは自社のTVでしかODYSSEYは動かないような広告を展開したんです。本体を見えないところに置いたりね。おかげであまり売れなかったんです。」 ゲーム画面ははっきりせず、まるで自社テレビの宣伝のような構図なのだ。
SUPER PONG IV (1976年秋/Sears/98$)
ATARIの伝説となったのは1975年クリスマスシーズン版だが手元に無いので翌年の同カタログを。
さすが通販カタログ会社。イメージ戦略とは真逆の、使い方、遊び方、そして安さ第一主義。写真もわかりやすく大胆なコラージュを適用。BEEP.BEEPの効果音はマンガみたいだ。
前年のヒットを受けてのATARI社に大量発注されたPONGの強化版。 しかし、COLECO社をはじめとする競合他社が発売したガンシューティングも楽しめるAY-3-8500-1搭載ボールゲーム機が、流通量とスピードで圧倒してしまった。 中身が一緒なら消費者は安い方を選び、かつボールゲームは飽きも早かった。
NationalテレビゲームTY-TG 40(松下電器テレビ事業部/1977年4月/24,800円)
白黒ボールゲームが日本上陸、同じゲーム内容に各社が苦心して差別化を図る中で、家電大手の松下の宣材がこれ。大人はおらず、しかも外国人のみと攻めたもの。色々と余裕がうかがえる。…が、甘く見すぎた。もはや、白黒ボールが24,800円で売れる時代ではなかったのだ。
裏面ではちゃんと4人いる(笑)。 松下はご存じテレビが主力のメーカー。お茶の間で「家族そろってお楽しみください」と言いながら、しゃれた遊びのイメージを押し出したセンスが光る。 考えてみれば、テレビだって各社似たような機能ばかり。一歩抜け出す工夫が必要だ。
カラーテレビゲーム6/15(任天堂/1977年6月~/9800円-15,000円)
娘息子がプレイし親が見守る構図。あまりにもストレート、あまりにも王道!(^^ 6/15はボールゲーム機では最後発組。前出までの各社家庭用テレビゲームの宣材を参考にしたとも言えますね。
美しい9色のカラー、9800円からという低価格。故障が少ない製品としての優れた特性(令和の今なお平気で動く)。 日経産業新聞は『テレビゲーム任天堂ショックー”カラーで9800円とは”』という見出しをつけた。
競合他社に与えた影響は計り知れず。
任天堂のビデオゲームに対する挑戦がここから始まる。
シャープテレビゲームフェアプレーXG-106(シャープ/1977年10月/9800円)
任天堂CTG-6SのOEM製品。 デザインは松下電器のそれを、日本のお茶の間バージョンに換骨奪胎したようでおもしろい。 登場人物が4人ではなく3人なのは、その方がテレビが前に出るという判断なのだろう。
任天堂的には、三菱電機(←LSIの供給元)とシャープという2大家電ルートに自社製品を乗せることができる結果となった。家電メーカーの進出に戦々恐々としていた玩具メーカーの逆をいったわけだ。
レーシング112(1978年6月/任天堂/18,000円)
任天堂家庭用テレビゲーム第2弾。レースゲームという性質ゆえ、女の子が消え、男性3人+ママの構図になっているのが興味深い。
裏面は少年が単独でプレイしている様子。本来はこれがメインプレイ形態。
上村先生曰く、当時は社内にLSIを設計できる人間がおらず、三菱電機からNGが出た仕様はすべて削らざるを得なかったとのこと。 消費者に受け入れられるのは、大きなハンドルや112種類のバリエーションといった仕様ではなく、ゲームの面白さであることを学んだという。
ビジコン(東芝/1978年4月/54,800円)
4人じゃなく5人ですな。ただし本体パッケージに使用されている同モデル写真版では、テレビ横の少年がカットされてやはり4人構成+テレビ+ゲーム機となっている。
高価な商材を売り込むキラーワードが「お子さまの学習用」だ。ただし、大人が登場せず、子供ら自らがルールを決めビデオゲームを楽しみながら、それが結果的に学習行為につながるという構図は、マイコン遊具の本質をなかなかとらえている。
特に5人目のめがねをかけた先生役の彼。本格的に学習に活用するのは、彼のようなマイコンだけでは制御しきれない進行や判定といったルールキーパーが必要なのだ。
ビジコンの対戦計算ゲームは名作で、スピーディーでスリルもある。数字入力はテンキーで行うし、CP-1610は正確なジャッジを行ってくれる。ただし、パズドラのように、頭を空っぽにしても(または脳の別の場所を使いつつ)楽しめる内容ではない。せめて、ゲーム電卓のように、計算の結果次第で得点増加につながる”ヤク”を搭載してほしかった。コントローラー側が最適化されているだけに実に惜しい。
お茶の間ではなく学習塾との趣がある設定。黒板には英単語が書かれており、あわよくば英語の勉強もという意匠がこもる。
アドオン5000(1978年8月/バンダイ/19,800円)
マイコンを搭載していないタイプのカセット(ソフト)交換式ビデオゲーム機。横型ブロック崩しやスタントサイクルといったアーケード系のタイトルもあるが、ボールゲームほどの引きはなく、大手バンダイの発売の割に知名度は低い。
本体を床に置いてプレイしている様子が、当時(今も?)の日本のお茶の間をきちんと描写していておもしろい。海外のTVゲーム機に比べて、日本のゲーム機はTVと本体をつなぐケーブルが短く、他の宣材によくあるような無垢なテーブルの上に置かれることなどまれで(なぜなら食器や調味料などをテーブルからどかす必要があるから。日本のお茶の間は狭いのだ)、テレビの前の床にデンと置き、ブラウン管を見上げてプレイするのが日常だった。猫背になりがちでめはうつろ。そういう見た目の悪さも教育上よろしくないと指摘される所以だった。
アドオン5000のジョイスティックはセパレートタイプなので、手にもってプレイすることができるのだが(父親が右手でそれを示しているがよく写っていない)、8方向アナログスティックによる微妙な調整が必要なゲームは土台の上に置いた方がコントロール性がよく、本体との距離的にも、けっきょくは床に座ってプレイすることが多かった。
●
ビデオピンボール(1978年秋頃/東洋物産/38,700円)
米ATARI社のアーケードゲーム・BREAKOUTは、日本ではブロック崩しの通称で人気を博した。ゲームの完成度ももちろん成功の要因であったが、全国的な普及にいたったカギは、喫茶店のテーブル内にゲームが組み込まれたことにあった。いわゆるテーブル筐体である。これが次のインベーダーブームの呼び水にもなる。
本機は4万円近い価格がネックであり、そのためおのずと、喫茶店でブロック崩しの楽しさを知るハイターゲット層がセールスの対象となった。「あのブロック崩しがご家庭で…」というコピーで示されるご家庭とは、観葉植物が飾られ、かもめの飾り物が飛んでいたりする、生活の香りがしない高級サロンのようなイメージだ。
●
スーパービジョン8000(1979年12月/バンダイ59,800円)
物価高と省エネ時代にもてはやされたビデオゲーム(電子ゲーム含む)だが、どうしてもプレイヤーが単数になりがちであることから、玩具業界では、複数のプレイヤーをつかむことが重要であると力説された。
任天堂のゲーム&ウオッチに象徴される、液晶を表示デバイスに使用した小型ゲームが登場し始めた1980年。遊具の王道を行く任天堂が一人用を追求したことに対して、玩具商社出発であるバンダイは、大型液晶を採用した野球ゲームを発売するなど、多人数プレイにこだわり、そして、強烈な遅延と1万円以上の定価により見事にこけた。
本企画の主役!
最高級のスタジオセット、4人の(富裕層)家族。遂に出た家庭用TVインベーダーゲーム、ホームコンピュータへの拡張性の暗喩。マイコン時代への夢と幻想が詰まった一葉。
ATARI VIDEO COMPUTER SYSTEM (1980年頃/英/)
これは英国Ingersoll社版のパンフレット。
スペースインベーダーという、(基本)1人用ゲームを招いてメガヒットを飛ばしたVCSも、初期は家族を囲んで遊ぶボールゲームのイメージを踏襲していた。
実は表はこちら(左)。 日本版VCS(引用元)ではまだ開発中だったインベーダーが、イギリス版ではセンターを奪取。
キラータイトルを得た家庭用ゲーム機のパンフレットは、朴訥なリビングの風景から、膨大な対応ソフトの訴求を飛び越え、このゲームのために買え!という時代へ。
テレビベーダー(1980年夏/エポック社/13,500円)
「さあ、手(家事)を止めて、一緒に遊びませんか?」4人家族でママが主役という斬新な構図。同一セット&キャストによるテレビCMでも、視聴者に訴えるのはママである。
当時は、ゲームセンター=(イコール)不良のたまり場&暗く不健全なイメージがあり、ブームの主役であったインベーダーゲームに、保護者はよい印象を持っていなかった。小型LSIゲームのインベーダーゲームは専用ディスプレイがついているが、今回はお茶の間のテレビを占有してしまうわけで、プレイに理解がありそうな父親はともかく、インベーダーゲーム自体にふれたこともない母親層には、目の前で子供たちがゲームする姿に、理解や共感を得る必要があった。
焼け石に水ではあっただろうが、方向性は正しかった。実際にママを味方につけることの重要性は、テレビベーダーから四半世紀を経たwiiで証明される。
●
カセットビジョン(1981年7月/エポック社/12,000円)
ファミコン前の国産カセット方式TVゲーム機として著名なのがカセットビジョン。
初年度の主な広告媒体は、少年誌や男児アニメだった。2年目からは、女性にも人気を呼んだパックマン系ゲームがラインアップに加わったからだろうか、再びファミリーをターゲットにする構図へと回帰した。ただし、今回は小さなお嬢さんがセンターで、パパが後退するかわりにママが上座(かみざ)に鎮座するという、女性層を強く意識したものだ。左右対称という構図上、お兄さん役の少年が2人に増員されている。
エポック社が欽ちゃんファミリーを有する浅井企画と提携したことにより、この宣材以降、カセットビジョンは、イモ欽トリオ(ファイブ)がイメージタレントとなる。テレビテニスから始まった4人家族の肖像も終了となる。もっともイモ欽は一応家族であるという設定ではあるが…。
インテレビジョン(1982年5月/バンダイ/49,800円)
国産機第一号から脈々と続いているエポック社製品を例外とすると、約2年ぶりに日本市場に帰ってきた家庭用テレビゲーム機=インテレビジョン。とは言え、アメリカでヒットしていたゲーム機の輸入販売なのだが。当初49,800円という定価はどうしても下がらなかったということで(※後年の値下げは在庫処分)、従来の製品とはアップデートされた宣伝が必要となった。そのような企画の中で、ビートたけしのイメージタレントとしての起用が大きな話題を呼び、初動5,000台を完売。垂直立ち上げに成功した(ただし出オチに終わった^^;)。
というわけで、たけしのイメージが強いインテレビジョンだが、ゴルフゲームの訴求にマッシ―倉本(倉本昌弘。同期のバンダイLSIゲームにも登場)、トレンド情報誌ばりのモデルによるイメージ写真も制作されている。
当然ハイターゲットをイメージしたもので、従来の子供の玩具からの脱却ということもあり、もはやテレビ画面もなく、まともにゲームも楽しんでいる者もいない様子ではあるが、テレビとインテレビジョンを動かせないとなると、当然こういったレイアウトになるのだろう。
●
●
アルカディア(1983年3月/バンダイ/19,800円)
一目してわかる通り、インテレビジョンの子供版である(誰が誰に当たるのか比較してみるとおもしろい)。正方形に収まる構図まで同じ。写真は本体パッケージのも採用されている。
インテレビジョンが初版以降苦戦をしていたこと、同ソフトウエアがバンダイで開発できないことから、希望に見合うアルカディア(MPT-03互換機)が香港より招へいされた。
ビートたけしのようなイメージタレントはいないが(当時は同じバンダイのLSIゲームに起用されていた。そちらの方が売れ行きが良かったのだ)、テレビCMのナレーションには小林克也=スネークマンが起用されている。
ドラえもんやガンダムといったバンダイ開発ソフトがローンチには間に合わなかったため、さりとて、香港のソフトはアピール力に弱かったため、小林のパンチのあるナレーションや、子供たちのパーティー会場のようなイメージ優先の構成になったと思われる。よって、主役であるゲームソフトの存在感は、インテレビジョン以上に希薄であり、実際のゲームソフトも、ため息が出るようなクオリティが多かった。
6月の東京おもちゃショーにて、ようやくアニメソフトが発表される直前、ファミリーコンピュータの一報が業界を駆け抜けたのである。
ATARI2800(1983年5月/アタリインターナショナルインク日本支社/24800円)
約10社のコンペの末、第一企画が宣伝を担当。80年代のコカコーラ広告に通じる、肉体的でテンションの高いモデルたち。みんな笑顔だが、テレビゲームで楽しんでいるというよりは、スポーツでも興じているように見える。
ビデオゲーム界を先導してきた巨人・ATARI社だが、日本では無名?の「アタリ」を売り込むこと、先行する競合他社との優位性=ソフト数のアピール、米でのブランド性といった政治的な宣伝に腐心したため、宣伝予算に見合ったユーザー数を確保することはできなかった。日本のゲームソフトに多大な影響を与えた数々のソフトを生み出し、ソフトウエアの面白さの重要性を知るアタリだけに、そこをセールスポイントにできなかったのは至極残念である。
もっとも、1977年製の表現力では、イメージに頼るしかなかったのかもしれないが。
それにしても、競合機として真正面からぶつけられたアルカディアのパンフレット(上)と比べると、なんとも時代を感じるデザインと言わざるを得ない。80年代は、もはや家族がテレビの前でテレビゲームを遊ぶ構図など、イメージだと前置きしたとしてもアウト・オーブ・デートであった。
●
●
●
ファミリーコンピュータ(1983年7月/任天堂/14,800円)
ブロック崩し(もしくはコンピューターTVゲーム)を最後に、一旦家庭用ゲーム機市場から撤退した任天堂の復帰戦。
もはや家族のかの字もない。そして本体の写真すらない。ターゲットが一番遊びたいタイトルがバン!と中央に載っているパンフレットのデザインは、宮本茂氏の手による(上村先生:談)。もっともテレビCMの方は、オーソドックスで生真面目な本体製品説明から始まるのだが。
ファミリーのコンピュータでありながら、大人が満足できる高クオリティな内容を追求。当の大人は渋ったが、子供はめげずに買ってくれ!を連呼。
競合ゲーム機をすべて過去に追いやり、ソフト主導の家庭用テレビゲーム専用機の新時代が始まる。
●
●
●
まとめ:4人は何を示すのか
別ページにまとめました。こちらをどうぞ!
↓
なぜ、黎明期のテレビゲームのパンフレットは、4人家族がテレビを囲んでいるのでしょう?
謝辞:
上村雅之先生の遊戯論/ゲームデザイン講義を多数参考にさせていただきました。